バレなければ何をしてもいい? 逝きし世の面影
2007/10/01
●偽装
北海道へ所要で出かけた人が、千歳空港に「白い恋人」はなかったと言った。
白の次は赤で、銘菓赤福も消費者をたぶらかしていた。さらに、比内地鶏である。ほかのニワトリの卵や肉の燻製を売っていたという。
どれもこれも名の知れたものばかりであることが悲しい。血のにじむような努力をして地方から名声を上げてきたはずが、一朝にして無に帰してしまう。
バレなければ何をしてもいいという感覚は、商人道どころか人倫の道にもはずれることを忘れてしまったか。
●荒くれの世界
相撲は因習の世界で、稽古といじめの区別がつかないのも予想の範囲内だが、ビール瓶で殴り、昏倒した人間を放置しておく感覚はおぞましい。
スポーツ紙あたりは、〝国技崩壊〟と煽るが、相撲業界は近代化せずに〝自然崩壊〟していくのではないか。
昔、相撲取りといえば、マイクを向けられてもひと言も喋れないような内気の人が多かった。大男は優しい、という定説もあった。
それらがことごとく崩れ去って、品格のない、ただの荒くれ男の世界になったことが、実は一番の問題ではないか。
●色まち考
ある不動産関係の人がおもしろいことを言った。「色まちの地価は上がる」と。「色まち」と言えば神楽坂に向島あたりを思いつくが、彼が言うのは「赤坂、青山、銀座、白金」のような色の名が付くところらしい。
じゃあ青戸に青物横丁に赤堤、赤羽はどうかと突っ込んだら、「山や坂、それにカネが付かないとだめ」と切り返された。本当にこの見立ては合っているのだろうか。
●梨花大の華
ソウルでWorld Women's Forumというのがあって、出席し、スピーチをしてきた。韓国の「雇用機会均等省」が後援である。
印象に残ったのは、50歳過ぎて梨花大学生になり、4つの学位を修めた女性で、彼女は子を4人設け、いまは社長業に余念がない。
梨花大コーラスグループのOGたちの合唱が披露されたが、その姿、形の洗練されていることと言ったら。
それに比べると、日本から出席した女性人には〝華〟が欠けていた。 それはどうしてかと考えた。
自分の力で人生を切り開いたという実感が少ないせいではないか・・・先の生き方にどん欲な女性のスピーチを聞きながら、そんなことを考えた。
●清潔な国
10年ぶりにハノイに行ってきた。前は自転車や荷馬車でごった返していた町が、バイクの奔流である。
ところが、町はいたって清潔なのである。幕末から明治にかけて日本にやってきた外国人は共通して日本の清潔な様子を報告しているが、ハノイにも同種の民度の高さを感じた。
30歳以下の陣号が50数パーセント占めるお国である。エネルギーに満ちて、人々の瞳がキラキラしている。いずれは先進国へとキャッチアップしていくのだろうと思う。
●2方向の教訓
沖縄で軍の強制で集団自決があったのか無かったのか、諸説があるから教科書から記述を削除というのは、おかしな理屈である。
それでは、ほかの記述はすべて事実が確認されたものばかりなのか。近代でさえ不安定なのに、近世、中世でも自信があると言うのか。
自虐史観ならぬ自尊史観に都合のいいものしか載せないとすれば、知性の怠慢である。
歴史から学ぶべきは、人間の愚行と善行の両方ではないのか。
●夢の国・日本
時代小説ブームのようである。佐伯泰英氏の「居眠り磐音・江戸双紙」シリーズは23巻累計500万部を超し、ほかにも同氏は4つ、5つ書き下ろしシリーズを走らせているという。
私は熱心な読者でもないし、つまみ食い程度にしか時代小説は読んでいないが、江戸に時代を置くだけで、気分が和んでくるのはなぜなのか。
渡辺京二氏の大著『逝きし世の面影』がちょっとした話題になっているが、そこで扱われているのが近世日本の〝幸福な状態〟である。時代小説のなかにいまだその残滓があることを読者は見抜いているのである。
