はかなきもの 鬼の上司
2002/03/01
●人的交流
大学に籍を置く私の友人二人が政府のお役人に転身した。月尾嘉男さんは東大から総務省の審議官に、大田弘子さんは政策研究大学院大学から財務省の参事官に。私はこの動きは大歓迎である。官僚のなかに異種の経験や様々な血が混じることで刺激を受け、ともすれば守勢に回りがちな体質を変えるいいきっかけになるかもしれない。逆に大学からの転身組は、政治のすぐそばにいることで、日々得難い経験ができる。官僚組織の生理を知るだけでも大きい。場合によっては族議員の恫喝も味わえる。産官学が垣根を越えて交流すれば、少なくとも日本はもっと賑やかな国になる。政治をのけ者にしているわけではないけれど。
●はかなきもの
企業の社会的な信用などというものは、激流に浮かぶ木の葉みたいなもの。あるいは熱い掌に触れる淡雪みたいなもの。そういうはかないものを大切にしないで、儲けばかり大切にしたのが雪印だった。かつてはそのはかないものを築き上げるのに営々と苦労したことを忘れて。儲かるならどんな恥ずかしいことでも平気でするという雪印的な会社は決して少なくはない。
●キレるオジサン
何が気にくわなかったのか、ホステスさんを急にオジサンが大声で叱咤する。料理屋で仲居さんがどなられるのも見聞きしている。不況時代でオジサンたちが多くのストレスを抱えているのは分かるが、自分より弱い立場の人間にしか強く出られないというのは情けない。ビジネス書で『上司が鬼にならねば?』式のものがある。私はキレるオジサンとその手のものに相関関係があるように思うのだ。なんで部下に接するのに鬼になる必要があるのか。ふつうに叱り、ふつうに褒めればいいだけのことではないか。何か怒りのエネルギーの大きさにオジサンたちは酔っているのではないか。また、そういうことをしても許されると思っているのではないか。
大声で叱られた子どもの心は石のように固くなると言う。部下の心にしても、そう変わりはないものと私は思う。
●時間が止まった
先日、予算委員会の傍聴に行ってきた。真紀子・ムネオの世紀の対決ということで、傍聴席はいっぱいだった。「おらが先生」を見るために地元から一団体も来ていた。大臣職を離れた真紀子議員が再び水を得た魚のようで、答弁が水際立っていた。この人に組織の枠をはめるのは間違いなのだという感慨を深くした。傍聴券を手に入れるのがとても大変だった。国会議事堂は日本の民主主義がこれからという時代に建造されたものだけに、一般民衆が多数傍聴にやってくることなど想定していない。まずあそこの席を増やすこと。そうすれば、政治家の先生方のやりとりも緊迫度を増し、白河夜船を漕ぐようなお爺さんもいなくなるだろう。
●大ベストセラー
書店で『声に出して読みたい日本語』をパラパラとめくった。このペーパーが皆さんの手元に届く頃にはもう100万部は超えているはず。それにしてもである。なぜこんなに売れるのか。引かれているのは、有名な一節ばかりである。私も親しんだものが多かったので懐かしさが込み上げたが、それが原因だろうか。部数の大きさから言って、単にノスタルジーで買われているわけではない。そう言えば、作品紹介、作家紹介も手短にそつなく書かれていた。コンパクトに教養を詰め込める参考書のつもりで読んでいるのではないか、というのが主なる感想である。
